お店のブログ | SHOP BLOG
抹茶ができるまで vol.2
5月に茶摘み体験をして摘まれた葉が碾茶になるところまでの様子をレポートしました。⇒「抹茶ができるまで」 今回は碾茶の荒茶を仕立ててパウダー状の抹茶になるまでをご紹介していきます。 お茶農家さんで碾茶にした荒茶を葉を揃えるために廻し篩という機械で切断します。その後唐箕にかけて茎や葉脈を外し火入れをして2日ほど乾燥させます。最終的には96~97%の水分を飛ばし仕立て葉が完成します。 仕立て葉を茶臼で挽いていよいよ最終段階の抹茶にしていきます。茶臼は石臼の直径が30~35cmほどで1分間に50~60回転し、1時間に約30~40gの抹茶を挽くことができます。 回転は速すぎても遅すぎてもダメなのだそう。葉は品質の良いものほど軽いので挽くのに時間がかかるのだそう。また石臼は厚いほうがきめ細やかに挽けるとのこと。 上部画像の左側の石臼は右のよりも厚みがあります。左の高級茶葉は葉が軽く挽ける量が少ないのがお分かりでしょうか。また品種によっても茶の色味の違いが出ます。一概には言えないのですが緑が濃いほうが良いお茶のようです。茶臼室からは挽きたての抹茶の良い香りが漂っていました。 江戸時代は碾茶を茶壷に詰めて将軍家に献上していました。11月になると茶壷の口の封を切り、熟成された碾茶を茶臼で挽いて「抹茶の新茶」を愉しんでいたのです。今でもお茶人にとっての11月は「茶人の正月」と言われ炉開きと口切を祝い茶事が開かれます。 新茶の季節というと茶摘みの5月を指しますが抹茶は摘みたての頃の青臭さが取れ、静かな深い味わいになる秋頃が今年の新茶に当たるのです。
抹茶ができるまで vol.2
5月に茶摘み体験をして摘まれた葉が碾茶になるところまでの様子をレポートしました。⇒「抹茶ができるまで」 今回は碾茶の荒茶を仕立ててパウダー状の抹茶になるまでをご紹介していきます。 お茶農家さんで碾茶にした荒茶を葉を揃えるために廻し篩という機械で切断します。その後唐箕にかけて茎や葉脈を外し火入れをして2日ほど乾燥させます。最終的には96~97%の水分を飛ばし仕立て葉が完成します。 仕立て葉を茶臼で挽いていよいよ最終段階の抹茶にしていきます。茶臼は石臼の直径が30~35cmほどで1分間に50~60回転し、1時間に約30~40gの抹茶を挽くことができます。 回転は速すぎても遅すぎてもダメなのだそう。葉は品質の良いものほど軽いので挽くのに時間がかかるのだそう。また石臼は厚いほうがきめ細やかに挽けるとのこと。 上部画像の左側の石臼は右のよりも厚みがあります。左の高級茶葉は葉が軽く挽ける量が少ないのがお分かりでしょうか。また品種によっても茶の色味の違いが出ます。一概には言えないのですが緑が濃いほうが良いお茶のようです。茶臼室からは挽きたての抹茶の良い香りが漂っていました。 江戸時代は碾茶を茶壷に詰めて将軍家に献上していました。11月になると茶壷の口の封を切り、熟成された碾茶を茶臼で挽いて「抹茶の新茶」を愉しんでいたのです。今でもお茶人にとっての11月は「茶人の正月」と言われ炉開きと口切を祝い茶事が開かれます。 新茶の季節というと茶摘みの5月を指しますが抹茶は摘みたての頃の青臭さが取れ、静かな深い味わいになる秋頃が今年の新茶に当たるのです。
山で抹茶
夏休みに1泊2日の那須岳登山を楽しみました。 初日はあいにくの曇り空。ロープウェイで中腹まで登り茶臼岳山頂へ。 山の裏側を下りその日泊まる山小屋に向かいました。 昭和の香り漂う煙草屋旅館では3種類の源泉が楽しめます。 ふもとの温泉は硫黄の香りが強かったのですがこちらは割と無臭で鉄っぽい感じの泉質でした。 お楽しみの夕食後は念のため持ってきたトランプが大活躍。 夫と小中学校の同級生で年中山登りをしている友人と私の3人で大盛り上がり。 久しぶりのトランプはみんなすっかり遊び方を忘れてしまっていたのでババ抜きや七並べや神経衰弱など定番中の定番をしました。 2日目は晴れて登山日和。宿から朝日岳を目指します。 途中温泉が噴き出している森を抜けてガレ場の稜線を歩きました。 休憩場所ではコーヒーを沸かしている親子の横で抹茶を点てました。 抹茶はお湯でも水でもどちらでも点てられます。この日は暑かったので冷抹茶が身体に染みわたりました。
山で抹茶
夏休みに1泊2日の那須岳登山を楽しみました。 初日はあいにくの曇り空。ロープウェイで中腹まで登り茶臼岳山頂へ。 山の裏側を下りその日泊まる山小屋に向かいました。 昭和の香り漂う煙草屋旅館では3種類の源泉が楽しめます。 ふもとの温泉は硫黄の香りが強かったのですがこちらは割と無臭で鉄っぽい感じの泉質でした。 お楽しみの夕食後は念のため持ってきたトランプが大活躍。 夫と小中学校の同級生で年中山登りをしている友人と私の3人で大盛り上がり。 久しぶりのトランプはみんなすっかり遊び方を忘れてしまっていたのでババ抜きや七並べや神経衰弱など定番中の定番をしました。 2日目は晴れて登山日和。宿から朝日岳を目指します。 途中温泉が噴き出している森を抜けてガレ場の稜線を歩きました。 休憩場所ではコーヒーを沸かしている親子の横で抹茶を点てました。 抹茶はお湯でも水でもどちらでも点てられます。この日は暑かったので冷抹茶が身体に染みわたりました。
日本最古の茶園@高山寺
抹茶はいつ日本に伝わったのでしょうか。 日本では奈良時代に茶の種が中国から入ってきたとされ平安時代の上流階級ではお茶が飲まれていたようです。この頃の飲み方は団茶や茶餅(ちゃへい)といわれる茶の葉を蒸して固形状にしたものを粉状にしてそれを煮出していたそう。 鎌倉時代になり中国の宋に渡った建仁寺の栄西禅師がお茶を日本に持ち帰ります。のちに茶祖といわれた栄西は茶の実を明恵上人に伝えました。 明恵上人は京都栂ノ尾にある高山寺に日本最古の茶園を作りました。こうして日本では修行僧への眠気覚ましや一般人への薬として抹茶が飲まれるようになったのです。ちなみに高山寺は有名な鳥獣戯画のお寺としても知られています。 高山寺で栽培するのと同時に茶の育成に適しているとされた宇治でもお茶は栽培されるようになります。室町時代には宇治茶が庇護され、秀吉の時代には高級茶としてブランド化されました。この頃は村田珠光に始まり千利休が大成した茶の湯が戦国武将の間で大ブームでした。 ちなみに煎茶は抹茶よりもずっと後、江戸時代に飲まれるようになりました。 茶の湯は明治維新の文明開化で一時期廃れますが大正、昭和、平成、令和と500年以上も脈々と受け継がれています。 また近年では薄茶、濃茶だけでなくラテやスイーツなどにも抹茶が使われるようになりました。そんな抹茶がスーパーフードと呼ばれている所以を次回お伝えしたいと思います。
日本最古の茶園@高山寺
抹茶はいつ日本に伝わったのでしょうか。 日本では奈良時代に茶の種が中国から入ってきたとされ平安時代の上流階級ではお茶が飲まれていたようです。この頃の飲み方は団茶や茶餅(ちゃへい)といわれる茶の葉を蒸して固形状にしたものを粉状にしてそれを煮出していたそう。 鎌倉時代になり中国の宋に渡った建仁寺の栄西禅師がお茶を日本に持ち帰ります。のちに茶祖といわれた栄西は茶の実を明恵上人に伝えました。 明恵上人は京都栂ノ尾にある高山寺に日本最古の茶園を作りました。こうして日本では修行僧への眠気覚ましや一般人への薬として抹茶が飲まれるようになったのです。ちなみに高山寺は有名な鳥獣戯画のお寺としても知られています。 高山寺で栽培するのと同時に茶の育成に適しているとされた宇治でもお茶は栽培されるようになります。室町時代には宇治茶が庇護され、秀吉の時代には高級茶としてブランド化されました。この頃は村田珠光に始まり千利休が大成した茶の湯が戦国武将の間で大ブームでした。 ちなみに煎茶は抹茶よりもずっと後、江戸時代に飲まれるようになりました。 茶の湯は明治維新の文明開化で一時期廃れますが大正、昭和、平成、令和と500年以上も脈々と受け継がれています。 また近年では薄茶、濃茶だけでなくラテやスイーツなどにも抹茶が使われるようになりました。そんな抹茶がスーパーフードと呼ばれている所以を次回お伝えしたいと思います。
抹茶の点て役者、茶筅のはなし
抹茶を飲むときに茶筅は必要ですかとよく聞かれます。なくても飲む方法はあります。 例えばプロテインのようにシェイカーでしゃかしゃか振ったり、カプチーノを作る要領でミルクフォーマーを使用したりもできますが抹茶を日常的に楽しむのなら断然茶筅をお勧めします。 抹茶を“点てる“ときに必要不可欠な道具、それは茶筅です。 茶碗や茶杓などはカフェオレボウルやティースプーンでも代用できますが泡だて器は残念ながら茶筅の代わりにはなりません。 それでは茶筅は一体どこで作られているのでしょう? 安価に出回っているもののほとんどは中国製です。原料となる竹が豊富にあるので機械を使って大量生産が可能だからです。ただ竹の特徴である粘りのあるしなりが弱くすぐにしぼんだり穂先がぽきっと折れてしまうのだそう。 国産で作られている茶筅は奈良県生駒市の高山茶筌が有名です。 現在職人さんはたったの18名。そのうちのおひとりである久保駒吉商店の久保さんの工房を訪ねました。 素材となる竹は太くなると茶筅にはならないので2~3年物を使います。それを油抜きして2~3年ほど乾燥させます。 茶筅は伝統的に夫婦が分業で作ります。片木(へぎ)、小割り、味削りという工程は夫の仕事で面取りと最後に穂先を固定するするために糸で編む作業は妻が担当します。どの工程も根気のいる細かい作業です。その中でもお茶の味を左右するといわれている味削りは職人技の見せどころです。湯に浸してから皮の裏側を半紙くらいの薄さに削っていきます。 茶筅は流派や穂数によって40種類ほどあるそうです。余談ですが私が習っている表千家では煤竹を使用するのですがその数は年々減少して今では入手困難になっているのでお茶会やお茶事では煤竹を使いお稽古では黒竹を代用しています。 一般向けで近年人気なのはカラフルな糸の茶筅です。久保駒吉商店さんでもデザインや色遣いを工夫した可愛い茶筅を作っていました。 こちらの茶筅は毎週金曜日に中目黒で営業しているビオ抹茶カフェで購入可能ですよ。
抹茶の点て役者、茶筅のはなし
抹茶を飲むときに茶筅は必要ですかとよく聞かれます。なくても飲む方法はあります。 例えばプロテインのようにシェイカーでしゃかしゃか振ったり、カプチーノを作る要領でミルクフォーマーを使用したりもできますが抹茶を日常的に楽しむのなら断然茶筅をお勧めします。 抹茶を“点てる“ときに必要不可欠な道具、それは茶筅です。 茶碗や茶杓などはカフェオレボウルやティースプーンでも代用できますが泡だて器は残念ながら茶筅の代わりにはなりません。 それでは茶筅は一体どこで作られているのでしょう? 安価に出回っているもののほとんどは中国製です。原料となる竹が豊富にあるので機械を使って大量生産が可能だからです。ただ竹の特徴である粘りのあるしなりが弱くすぐにしぼんだり穂先がぽきっと折れてしまうのだそう。 国産で作られている茶筅は奈良県生駒市の高山茶筌が有名です。 現在職人さんはたったの18名。そのうちのおひとりである久保駒吉商店の久保さんの工房を訪ねました。 素材となる竹は太くなると茶筅にはならないので2~3年物を使います。それを油抜きして2~3年ほど乾燥させます。 茶筅は伝統的に夫婦が分業で作ります。片木(へぎ)、小割り、味削りという工程は夫の仕事で面取りと最後に穂先を固定するするために糸で編む作業は妻が担当します。どの工程も根気のいる細かい作業です。その中でもお茶の味を左右するといわれている味削りは職人技の見せどころです。湯に浸してから皮の裏側を半紙くらいの薄さに削っていきます。 茶筅は流派や穂数によって40種類ほどあるそうです。余談ですが私が習っている表千家では煤竹を使用するのですがその数は年々減少して今では入手困難になっているのでお茶会やお茶事では煤竹を使いお稽古では黒竹を代用しています。 一般向けで近年人気なのはカラフルな糸の茶筅です。久保駒吉商店さんでもデザインや色遣いを工夫した可愛い茶筅を作っていました。 こちらの茶筅は毎週金曜日に中目黒で営業しているビオ抹茶カフェで購入可能ですよ。
宇治で抹茶づくり体験
前回のブログで碾茶づくりの工程をお伝えしたので今回は宇治で体験した抹茶づくりの様子をご紹介します。宇治では数か所で抹茶づくり体験ができるようですが私は宇治茶の新しい施設、お茶と宇治のまち歴史公園 茶づなで行いました。 体験ではまずお茶とお菓子を頂きながら説明を受けます。その後茶臼の前に移動して実際に挽いていきます。臼は茶臼といわれる専用のものを使います。 茶臼は石製で、上臼・下臼・受け皿・台座の四つの部分から出来ています。下臼・受け皿・台座が固定され、下臼の芯棒を軸に、上臼の側面に取り付けた木製の遣り木を持って、上臼を回転させて使います。上臼と下臼の接触面には歯が刻まれていて、上臼の上面に開いた穴から入れた碾茶が歯の刻まれた接触面に広がり、回転による摩擦で抹茶ができる仕組みです。(調査員のおすすめの逸品 No.81 茶臼より引用) 挽く速度は速すぎても遅すぎてもよくないそう。体験では15~20分で約2gを挽きました。 挽いているうちにマスク越しでもフレッシュなお茶の香りが漂ってきました。色も青のりのような碾茶から鮮やかな鶯色の抹茶に変化します。 味は自分で挽いたのと挽きたてというのが相まって特別に美味しく感じました。 ビオ抹茶ジャパンの抹茶は機械で挽いています。抹茶が手挽き臼から機械臼に移行したのは明治から大正にかけてだそうです。その様子は秋頃にお伝えしますね。
宇治で抹茶づくり体験
前回のブログで碾茶づくりの工程をお伝えしたので今回は宇治で体験した抹茶づくりの様子をご紹介します。宇治では数か所で抹茶づくり体験ができるようですが私は宇治茶の新しい施設、お茶と宇治のまち歴史公園 茶づなで行いました。 体験ではまずお茶とお菓子を頂きながら説明を受けます。その後茶臼の前に移動して実際に挽いていきます。臼は茶臼といわれる専用のものを使います。 茶臼は石製で、上臼・下臼・受け皿・台座の四つの部分から出来ています。下臼・受け皿・台座が固定され、下臼の芯棒を軸に、上臼の側面に取り付けた木製の遣り木を持って、上臼を回転させて使います。上臼と下臼の接触面には歯が刻まれていて、上臼の上面に開いた穴から入れた碾茶が歯の刻まれた接触面に広がり、回転による摩擦で抹茶ができる仕組みです。(調査員のおすすめの逸品 No.81 茶臼より引用) 挽く速度は速すぎても遅すぎてもよくないそう。体験では15~20分で約2gを挽きました。 挽いているうちにマスク越しでもフレッシュなお茶の香りが漂ってきました。色も青のりのような碾茶から鮮やかな鶯色の抹茶に変化します。 味は自分で挽いたのと挽きたてというのが相まって特別に美味しく感じました。 ビオ抹茶ジャパンの抹茶は機械で挽いています。抹茶が手挽き臼から機械臼に移行したのは明治から大正にかけてだそうです。その様子は秋頃にお伝えしますね。
抹茶ができるまで
茶摘みで摘んだ葉はすぐに発酵が始まります。それを防ぐため摘んでから基本的には24時間以内に碾茶に仕立てます。発酵させると紅茶やウーロン茶になりますが緑茶は発酵させません。同じ茶の木からなるお茶でも製造工程で異なるんですね。 さて抹茶の話ですがまず新芽をふるいにかけ蒸し器に入れます。蒸すのはわずか1分足らずでそれ以上だと水分を含み過ぎてしまうのだそう。蒸し加減は熟練の作業です。品種やその年の出来によって蒸し器の角度や時間を調節します。 蒸した後は散茶機で下から風を送って葉を高く舞い上げ冷やしながら水分を飛ばしていきます。高さは8mにもなるそう。これを5つのパーテーションに区切り葉が重ならないようベルトコンベアで乾燥炉に送るのです。 送られた新芽は90~180℃の乾燥炉のなかで往復しながら20分ほどかけてじっくり乾燥させ、その後選別機で茎を取り除かれます。 こうしてできたお茶を碾茶(荒茶)といいます。この状態で食べてみるとお出汁の効いた焼きのりのような味がしました。出来立ての碾茶は摘みたての葉なのでフレッシュな感じです。これを半年ほど寝かせることによって青々しさが取れて味に深みが増していきます。そのため抹茶の新茶は5月ではなく11月頃になります。 碾茶を細かく切断し葉脈なども完全に取り除いた葉を茶臼で挽いたのが抹茶です。空気に触れて香りが飛ばないよう専用の挽茶室で行います。 抹茶は煎茶とは違い、蒸したあとに揉みこんで味や香りを引き出すという工程はありません。新芽の品質や熟練の仕立て技術が抹茶の味を左右します。 このように同じ緑茶でも抹茶は栽培方法や製造工程が全く異なります。手間暇かけて丁寧に作られているのを目の当たりにして抹茶が他の緑茶に比べて高価なのも納得がいきました。 茶の湯では11月の炉開きの時にその年のお茶を封切して頂きます。11月は茶人の正月といわれお茶会やお茶事を開いて祝います。 秋には茶臼で挽く工程を見学しに行く予定です。
抹茶ができるまで
茶摘みで摘んだ葉はすぐに発酵が始まります。それを防ぐため摘んでから基本的には24時間以内に碾茶に仕立てます。発酵させると紅茶やウーロン茶になりますが緑茶は発酵させません。同じ茶の木からなるお茶でも製造工程で異なるんですね。 さて抹茶の話ですがまず新芽をふるいにかけ蒸し器に入れます。蒸すのはわずか1分足らずでそれ以上だと水分を含み過ぎてしまうのだそう。蒸し加減は熟練の作業です。品種やその年の出来によって蒸し器の角度や時間を調節します。 蒸した後は散茶機で下から風を送って葉を高く舞い上げ冷やしながら水分を飛ばしていきます。高さは8mにもなるそう。これを5つのパーテーションに区切り葉が重ならないようベルトコンベアで乾燥炉に送るのです。 送られた新芽は90~180℃の乾燥炉のなかで往復しながら20分ほどかけてじっくり乾燥させ、その後選別機で茎を取り除かれます。 こうしてできたお茶を碾茶(荒茶)といいます。この状態で食べてみるとお出汁の効いた焼きのりのような味がしました。出来立ての碾茶は摘みたての葉なのでフレッシュな感じです。これを半年ほど寝かせることによって青々しさが取れて味に深みが増していきます。そのため抹茶の新茶は5月ではなく11月頃になります。 碾茶を細かく切断し葉脈なども完全に取り除いた葉を茶臼で挽いたのが抹茶です。空気に触れて香りが飛ばないよう専用の挽茶室で行います。 抹茶は煎茶とは違い、蒸したあとに揉みこんで味や香りを引き出すという工程はありません。新芽の品質や熟練の仕立て技術が抹茶の味を左右します。 このように同じ緑茶でも抹茶は栽培方法や製造工程が全く異なります。手間暇かけて丁寧に作られているのを目の当たりにして抹茶が他の緑茶に比べて高価なのも納得がいきました。 茶の湯では11月の炉開きの時にその年のお茶を封切して頂きます。11月は茶人の正月といわれお茶会やお茶事を開いて祝います。 秋には茶臼で挽く工程を見学しに行く予定です。